【能登の思い出とボランティア出発まで】
私の能登半島の思い出と言えば15年程前大阪に住んでいた頃、バイク一人旅で行った時の
能登半島が強く印象に残っています。
バイクで早朝に大阪を出発し、金沢の兼六園に寄り能登半島入りしました。
のどかな田舎道をバイクで北上していましたが、途中で眠くなりバイクを停めて横の田んぼの中にある納屋の裏のあぜ道の上で横になり、そよ風に吹かれながら寝てしまいました。
しばらく経った頃にお婆さんに起こされました。
すぐ近くの家のお婆さんで「こんな所で寝てないでうちに来て寝なさい」と声をかけてくれました。
あぜ道で寝ているかなり怪しい状態だった私を自分の家に呼んでくれるなんて何て優しい人なんだ、と感動したのを覚えています。
その後走っていると学校帰りの子供たちが、道路脇からみんなで「バイバイ!」って手を振ってくれました。
私が手を振り返すとみんな「わー!」と喜んでもっと大きく手を振ります。
普段はバイクではただひたすら走っていたので、あまりその土地の人と交流を持ちませんでしたが、能登半島での事を思い出すと今でも心が温かくなるのを感じます。
そんな能登半島で今年の1月1日に地震が起きました。
あの時優しくしてくれた能登の人達は無事だろうか。
テレビから流れる映像は現地の壊滅的な被害の光景。
私が見たのどかな能登が大変な状況になっているのを見て、自分に出来る事をしようと石川県のボランティア募集が始まるとすぐに登録しました。
登録したものの、募集人数は1つの町や市で1日20名~30名程度ですぐに枠が埋まってしまうのでいつまで経っても行くことができませんでした。
もし参加できたとしても金沢駅を朝バスで出発して、現地で作業をしてまたバスに乗り金沢に帰らないといけない日帰りのものばかり。
これでは現地で短時間しか活動できません。
個人で行こうにも、石川県からのメールには「個人で石川に来るのはやめてください」と書いてありました。
そんな時に能登半島の真ん中の辺りにある七尾市にボランティア向けベースキャンプが設置されたとの情報を見ました。
これなら連泊して活動ができると思い、車で七尾へ行き2泊3日で車中泊をしながら
ボランティア活動をしました。
七尾市では主に災害廃棄物の運搬と仕分けをしました。
そして5月にまた予定を調整し、今度は七尾市よりも北部にあり被害が甚大な珠洲市にあるボランティアキャンプ「ボラキャンすず」に6泊7日で行く事にしました。
八王子から珠洲市まで約600キロで約9時間。
能登半島の付け根で高速道路を降りて北上するにしたがい、通行止めや道路の陥没、ひび、土砂崩れが酷くなり、車のスピードがスローダウンしていきました。
そして朝7時に八王子を出発し夕方16時にようやく珠洲の「ボラキャンすず」に到着しました。
ボラキャンすずの夕焼け。
車の運転が好きな私でもパンクに注意しながらの9時間はなかなか
こたえました。
【ボラキャンすずについて】
「ボランティアキャンプすず」通称「ボラキャンすず」は石川県珠洲市に設置された被災地を支援する人達の為のベースキャンプです。
八王子市民には馴染みのある法政大学の水野雅男教授(石川県出身、現在八王子市在住)により設立され、現在能登半島でボランティア活動する人や、実家が被災したので片付けに来た人などの滞在先として広く活用されています。
ボラキャンすずでは主4につの活動をしています。
① ボラキャンすずの運営
② ボラキャンすず独自の被災地支援活動⇒被災された方からボラキャンすずに直接依頼された案件
③ 被災地支援をするNPOなどから来る依頼
④ 珠洲市、能都町のボランティアセンター(社会福祉協議会)からの依頼
ボラキャンすずに滞在している人は②~④の中から希望するものに参加する事もでき(需要や人数により調整が必要な場合があります)、またそういった活動とは別に個人でボランティア活動をする事もできます。
ボラキャンすずでは被災地支援の活動であれば、枠にとらわれずに自由に活動する事ができるのが最大の魅力です。
テントサイトにはアウトドアブランドのモンベルが設置したテントがあり、寝袋も自由に借りる事ができ電源もあります。
テント持参の人や車中泊用のサイトもあります。
中心部には宿泊者が集まれる大きな共用のテントがあり、そこにはテーブルや椅子だけでなく、ガスコンロ、電子レンジ、トースター、食器があり自由に使用できます。
ここには夜になると自然と人が集まり一緒にご飯を食べたり飲んだりしながら、ボランティア同士でコミュニケーションや情報交換ができます。
その他、洗濯機や冷蔵庫、コインシャワーもあるので特に不便な事はありません。
徒歩で行ける範囲にスーパーが無いので、車以外で来た滞在者は車の人に声をかけて一緒に連れて行ってもらいます。
私が滞在している間には日本各地から来た色々な人が滞在していました。
東日本大震災の被災者で、今はリタイアして今回能登で2度目のボランティア活動をしている人。
2週間珠洲で活動し、1週間家に帰り、また2週間珠洲で活動、と言うのを繰り返している人。
リタイア後に夫婦で来ている人。
60日間滞在して活動している人。(八王子の方でした)
土日の休みを利用して活動している人。
実家の片付けをしに来た人
そして私のように仕事を調整して現地入りして活動している人
沢山の人が様々な思いで被災地に集まり、色々な形で被災地支援をしていました。
広々としたテントサイトは装備が揃っているので
何も持っていない人でも気軽に来ることができます
車泊用のサイトも広々
鳥の声を聞きながら活動の疲れを癒す事ができます
【初日・ボラキャンすずの活動】
初日はボラキャンすずに被災された方から直接依頼された案件で活動しました。
依頼内容は被災した納屋にある耐火煉瓦を別の場所への運び出す作業でした。
ボラキャンすずからは4名で向かいました。
道中、あちこち倒壊した家屋が目に入ります。
能登の家は重い瓦が乗った古民家のような家が多くあります。
今回の地震ではそのような家は殆ど全てに何らかの被害があり、一部地域では見渡す限り
全壊だったり傾いていたりほぼ壊滅状態となっている地区もあります。
一階部分が潰れていたり、一階どころか全てが崩れて屋根しか見えなくなってしまっている家を見るたびに「その家にお正月で集まっていたであろう人達は大丈夫だっただろうか…」と考えました。
5月までの統計では260名がこの地震で亡くなられており、おそらく私が目にした家々の中で亡くなられた方もいたと思われます。
活動場所に着き、さっそく煉瓦の運び出しをします。
外は春の陽気で花が咲き鳥が鳴いています。
目の前にある倉庫は傾いており、その横の母屋は完全に住めない状態にまでひしゃげて
いました。
今地震が来たらこの倉庫は崩れ落ちてしまうのでは…と思いつつ、いやきっと大丈夫、と
自分で不安をかき消しながら作業しました。
倉庫の中から煉瓦を台車に積んで運び出しては軽トラに乗せ、軽トラがいっぱいになったら保管場所まで運んで、そこで煉瓦を下ろします。
これを恐らく8~9回くらい繰り返したと思います。
グローブをしていても煉瓦で指を挟んで出血したり、安全靴を履いていたので大丈夫でしたが足の上に煉瓦を落してしまったりして装備の大事さを実感しました。
朝から始めた重い煉瓦を運ぶ作業は30分くらいのお昼休みを挟んで、15時くらいまでひたすら繰り返されました。
4人のメンバーは皆慣れており体力もあったので一日で終わりましたが、この作業を被災された方本人がしなくてはならないとなったら一体どのくらいかかり、そしてどのくらい被災された方を消耗させるのでしょうか。
煉瓦運びが終わったら倉庫脇のスチールの大きな棚の解体も依頼されて、夕方までの時間はその棚の解体をしました。
解体時にはメンバーの一人(東日本大震災被災者で、ボランティア活動に慣れた方)が持参してきた工具や電動ツールが活躍しました。
このメンバーは自分が年を取り体力的に厳しくなってもボランティアとして活動できるようにと重機の免許を取ったそうです。
その日の作業を終えてボラキャンすずに戻り、車でスーパーに行き地物の刺身を買い、近くにある自衛隊の設置したお風呂に入りました。(現地ではまだ水道が復旧していない所、水道があってもお湯が出ない所も多くあります)
キャンプ場に戻って車の横の芝生スペースに椅子を置いて夕焼けを見ながら晩ご飯を食べていたら、一瞬「ここはあののどかな能登のままなんじゃないか」と言う錯覚に陥りました。
心のどこかに「記憶の中のあの日の能登でいて欲しい」と言う思いがあり、現実に目にした光景とのギャップは未だに私の中で上手く結びつけられないでいます。
ボラキャンすずでの朝ごはん
普段はシリアルで済ませる私も
日中の活動に備えてしっかり食べました
【2日目、床下の砂出しと包丁研ぎ】
活動2日目は岡山県のボランティア団体とボラキャンすずとの合同作業でした。
津波が来た海沿いの民家に向かい、床下に入り込んだ砂を除去して消毒をする作業です。
梅雨前にその作業を終えなくては床下の湿気で基礎部分の木が腐り、家の寿命に大きく影響してしまいます。
岡山県の団体は2018年西日本豪雨災害の時に設立された団体です。
今まで数々の災害現場での活動実績のある経験豊富な代表の方が来ており、被災地での様々なニーズに対応できるようにと大きな車にたくさんの道具を積載していました。
まずは被災した住宅の畳を上げて床板のどこを切ればいいか他の経験豊富なメンバーと相談し、人が出入りできる大きさに切り抜きます。
そこからはひたすら人海戦術です。
ボランティアのメンバーは砂まみれになるので、カッパを着て照明を持ち床下に続々と入っていきます。
狭い床下で寝ころびながらテミ(大きな塵取りのような物)にスコップなどで砂を集め、
それを足で押して床に穴を空けた所まで送ります。
穴の所の人は床下から砂の乗ったテミを持ち上げ、大きなバケツにそれを移します。
そのバケツをリレー方式で家の玄関に停めた軽トラまで運んで荷台に砂を移します。
軽トラの荷台がいっぱいになったら海岸に捨てに行く、それを何度も繰り返します。
湿った砂は重く、どの場所を担当する人も一生懸命です。
そんな中でも体力のある人は無い人のフォローをし、力がいる作業の場所に率先して入ります。
お互いに自分が何をすべきかを暗黙のうちに察し合い、全員が無理なく安全に動けるようにしています。
その日の朝に会ったばかりのメンバー同士なのに、あっと言う間に素晴らしいチームができる様は今までの人生で見たことが無く胸が熱くなりました。
午前中砂の運び出しをしている時にボラキャンすずの方に「福田さんはこの家の方の包丁研ぎをしてみてはどうか、きっと喜ばれるのでは」と提案されました。
私は包丁研ぎを仕事にしていて現地でその需要があるなら包丁研ぎをしますと事前に伝えていました。
ですが、被災された方は包丁が切れる事よりも何よりもまずはライフラインを始め、家で普通に生活できる状態に戻す事が最優先です。
迷いながらも住人の方に声をかけてみたところ、とても喜んで頂けて何本もの包丁を持ってこられました。
その方が近所の方にも声をかけてくださり、他にもたくさんの包丁が私の元に集まりました。
大変な生活をしている被災された方々にとっては本当に些細で一瞬の事とは思いますが、切れるようになった包丁を使った瞬間に少しでもポッと心が和らいで頂けたらいいなと思いながら包丁を研ぎました。
砂出しの作業をしているとご近所の方が「何をしているんですか?」とみんな集まってきました。
実はこれはとても大事な事で、色々な困りごとに関してボランティアに協力してもらえる、やってもらえる、と言うことを知らなかったり遠慮している被災者が多くいます。
色々な場所で活動してきたボランティアのメンバーによると、能登の人はボランティアや
行政に頼むのは迷惑をかけるので申し訳ない、と考えて遠慮している方が多い印象との事でした。
そのように最初から手助けしてくれる存在を知らない方や、頼む事を諦めてしまっている人も、近所の方がボランティアに協力してもらい色々な問題が片付いて行くのを目の当たりにして「頼んでもいいんだ」「こんなに早く進むんだ」と知ってもらえる機会になります。
床下の砂出しについて説明をすると「うちも是非お願いしたい」と希望の方が何名かおられました。
午後からは床に穴を空けた「技術班メンバー」は周りの家に状態確認などに向かい、残ったメンバーで砂出しの続きと、出し終えた後にはカビなどの予防として消毒液を床下に噴霧する作業をしました。
専門的な知識が無いと床に穴をあけたりできないし、リーダーシップを取れる経験豊富な人がいないとメンバーの力量に合わせて采配したりと手際良く仕事を進めていく事ができません。
ですが、初めてボランティアに参加した人でも体力にあまり自身が無い人でも、分担し協力しあうことで全員が大活躍した一日でした。
岡山県の団体は今後も定期的に珠洲に行き、依頼のあった家々の床下のメンテナンスを継続して行っていく予定との事でした。
床に空けた穴の所に待機して
床下メンバーから砂の入ったテミを受け取りバケツに移し替える作業をしています
床下にいるメンバーの頭が見えます
この後消毒をする為に私も床下へ
汗だくになりました
【3~5日目、珠洲市ボランティアセンターでの活動】
私が珠洲に行ったのはGW明けから。
連休までは社会福祉協議会で運営しているボランティアセンター(ボラセン)に多くのボランティアが来ていましたが、連休後は急に参加人数が減り人手が足りなくなったので、ボラキャンすずへ協力依頼が来たようです。
朝ボラキャンすずの駐車場に集まり、車を出せる人の車に何人かで別れて乗って珠洲市の
ボラセンへ向かいました。(一部能登町のボラセンへ行くメンバーもいました)
ボラセンでの3日間の活動は主に災害廃棄物の分別、運搬、廃棄でした。
家を公費解体するのに家の中に物があったらだめなので、家具や家電を廃棄します。
母屋が崩れてしまい倉庫が何とか崩れずに残ったので、その倉庫に住めるようにする為に
中にあるものを廃棄したい。
家の外のブロック塀が壊れたのでそれを廃棄したい。
お寺が被災し公費解体するのに中にある物を廃棄したい。
依頼内容は様々でしたが、共通している事は基本的に廃棄物を臨時に設置された広大なごみ処理場に持って行くことでした。
被災された方の目の前で解体されどんどんとトラックに積み込まれていく廃棄物。
家具、家電、仏壇、本、鏡、絵、食器、布団、そして先祖代々から大切に保管されてきたと思われる物が数多くあり、それが「廃棄物」として捨てられます。
被災された方の一人は「生きていくためだから…捨てないと置く場所がどこにも無いからしょうがないんです」と言っていました。
ただその場所に住んでいただけで被災し、昨日までは家の大事な財産だったり自分が大切にしていた物をごみとして廃棄しなくてはならない現実。
廃棄をすると決めるまでも色々な葛藤があったと思います。
前に進むためにと決断しても、大事だった物を捨てざるを得なかった喪失感や無力感は今もこの先も被災者を苦しめ続けるのではないかと胸がつまりました。
私が行ったごみ処理場は海沿いの2か所でした。
重機で大きな家具や色々な物を壊しコンテナに詰め込み、コンテナがいっぱいになると次のコンテナへ入れていきます。
雨ざらしにされた畳や布団は高く積み上げられ、おそらく価値のある物であろう陶器が大きな袋の中に投げ入れられ、瓦やガラス、冷蔵庫やテレビなどの家電も数多くありました。
海沿いの砂埃交じりの突風の吹く中、絶え間なく来る軽トラや2トントラックに乗った廃棄物を処理場の人達は淡々と処理していました。
今どうにもならなくて捨てざるを得ない物たちを、被災された方が落ち着いた生活を取り戻すまで預かれるシステムがあればと思います。
現実には場所や保管が長期に渡ると思うのでなかなか難しいとは思いますが…
ちなみに被災された方のそういった家財を引き取り、代わりに販売しその売上を被災地復興に役立てるという活動もいくつかあるようです。
手放してしまいはしたが、せめて「復興の役に立てたんだ」と思うことができれば被災された方の気持ちは全然違うと思います。
余談ですが、ボラセンには全国各地の社会福祉協議会からの応援スタッフが来ていました。
七尾でも珠洲でも八王子からの応援スタッフがいないか探しましたが、残念ながら八王子からは派遣されていないようでした。
ボラキャンすずのベースキャンプでもこんな感じで包丁研ぎを
しました
ボランティアに差し入れをして
くださっている地元の方や
ボランティア仲間、そして皆が
共同で使っている包丁などを
研ぎました
【最終日 被災地で包丁研ぎをして】
珠洲市滞在の最終日は包丁研ぎのボランティアをしました。
事前にボラキャンすずの水野先生に「被災地で需要があるなら包丁研ぎをします」と相談したところ、被災された方向けのお弁当を作っている所を紹介していただきました。
そちらは1日1000食前後のお弁当を作っている場所です。
作っている飲食業の方々も被災されており、お店の再開の目途が立っていない方、避難所から通っている方などが毎日お弁当を作って配達していました。
当初はその場所の包丁を研ぐ予定でしたが、本数が少なかったので「お店で使っていた包丁も持ってきていただいたら研ぎます」と伝えたところ40本以上もの包丁が集まりました。
中には「今日は非番だったけど包丁を研いでもらえると聞いて40分かけて来ました」と言う方もいました。
和包丁から洋包丁まで今までお店で活躍していたであろう包丁を研ぎながら「一日も早くこの包丁達がまた活躍できますように」と祈らずにはいられませんでした。
包丁研ぎとは別に今回は包丁の寄付もしました。
飲食店の方々と聞いていたので私が研いだ和包丁を何本か持参しました。
自宅が崩れて包丁を取り出せない方もいたようで喜んでいただけたのではと思います。
朝から研ぎ始めて15時くらいまで、お昼にはお弁当を差入れしてくださいました。
沢山の食材を使ったとても美味しいお弁当で、私はあのお弁当の温かさをこの先ずっと忘れないと思います。
包丁研ぎを終えた後は珠洲市を後にして家路につきました。
八王子へ帰ると今まで通りに家があり家族がいて、今まで通りに道を車が走り
スーパーには沢山の品物が並び、小学生が楽しそうに登下校しています。
蛇口をひねれば水やお湯が出てトイレも使えて何不自由ありません。
被災地とのあまりのギャップに、目の前の八王子の様子がうっすらと膜のかかった
幻覚のようにすら思えました。
1か月近く経った今でもその感覚が残り続けています。
作っている方達の温かい気持ちが
お弁当から伝わってきました
本当に本当に美味しかった
研いだ包丁の一部
私の精一杯で研ぎました
早く活躍できる日が来ますように
【最後に】
災害はいつ起こるかわからないので備えなければならないと言われます。
ですが、実際に自分が当事者にならなければその大変さ、苦しさ、悲しみ、無力感、絶望感はわかりません。
ただ、自分に何ができるかを考える事はできます。
例えそれが些細な事だったとしても、その小さな1つ1つが集まる事で大きな力にする事ができます。
私は東日本大震災の時にもボランティアで一度宮城県に行った事があります。
その時は1度のみ短期間だけで、気になっていたもののその後は行く事ができませんでした。
人生には色々なタイミングがあり、やりたいと思ってもそれができない時もたくさんあります。
少しでも何かをしたいと思う気持ちがあり、状況が許すのであれば是非行動してみてください。
必ず役に立てる事があると思います。
私はボランティアに行く時は積極的に周りに伝えています。
伝える事でボランティア活動が一部の人のする事ではなく、誰でも参加しようと思ったら
できる身近な事だと感じて欲しいからです。
目の前で転んでしまった人がいたら「大丈夫ですか」と駆け寄って手を差し伸べるのと同じように、遠くで苦しんでいる人にもたくさんの手が差し伸べられる社会になればいいなと思います。
最終日の朝
ボラキャンすずでは毎日メンバーが
入れ替わり立ち代わりします
「またどこかで!」
そう言って笑顔で別れます
元気でいたらまたいつかどこかで
会えると信じて
能登半島地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします
【八王子市の能登半島地震ボランティアに対する助成金などについて】
八王子市からは社会福祉協議会の「ボランティアリーダー助成金」という制度があります。
これは寄付金により運営されている助成金制度で以下の条件を全て満たした場合に
のみ交通費や宿泊費が一部助成されます。
①令和6年2月23日以降の活動
②3名以上の市民(市内在住・在勤・在学※の方)で行った活動 ※中学生以上
この②に関してはなかなかハードルが高いと言わざるを得ません。
3名以上で予定を合わせて現地へ向かうのは本当に短期間、例えば土日であれば可能かもしれません。
ですが、能登は車で行くにも電車で行くにもかなり遠く、移動に片道丸1日かかる事を考えれば3名で予定を合わせていくのは現実的にはかなり厳しいと思います。
八王子市社会福祉協議会に問い合わせたところ、「あくまでも今後八王子市で災害が起こった場合にリーダーとして活躍していただける方を育成するための助成金です」との事でした。
時間、交通費、滞在費、全て賄える人もいれば、経済的な理由さえ解消されたら行ける人もいると思います。
被災地では1人でも多くのボランティアの手が必要となっている今、もっと積極的に被災地の立場に立って助成制度を考えて欲しいと思います。
※他市では一人で被災地へ行く場合に交通費などの補助が出る所もあります。
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